風船爆弾 底冷えの工廠で作業
朝日新聞 2024/6/22より
柴田歌子(千葉県)
1944年、私は「ふ号兵器」いわゆる風船爆弾づくりに携わりました。当時は愛知県立第一高等女学校5年生で、学徒勤労動員として名古屋陸軍造兵廠に配属。勉強を続けることはかなわず、名古屋市内の自宅から通いました。
「撃ちて止(や)まむ」の標語の下、女学生は一丸となって銃後を守ったのです。
コンニャクノリで和紙を6層に重ねつける作業です。ゴワゴワした手触りだったので、「ゴワ」と呼んでいました。級友と班になって、並んで必死に作業しました。それを直径10mの気球にするのです。球体になった風船の中に入って、破れがないか点検しました。
一般工員に交じって夜勤もしました。工廠は底冷えし、暖房もない中作業は続きました。
学校は空襲で焼かれました。手にした卒業証書は、わら半紙一枚の粗末なものでした
設立趣旨
登戸研究所は、戦前日本の戦争・軍隊を知る上で、きわめて貴重な戦争遺跡である。登戸研究所は、戦争には必ず付随する「秘密戦」(防諜・諜報 ・謀略・宣伝)という側面を担っていた研究所であり、そのため、その活動は、戦争の隠された裏面を示しているといえる。私たちはこうした戦争の暗部ともいえる部分を直視し、戦争の本質や戦前の日本軍がおこなってきた諸活動の一端を、冷静に後世に語り継いでいく必要がある。
私たちは、登戸研究所の研究施設であったこの建物を
保存・活用して「明治大学平和教育登戸研究所資料館」を設立し、登戸研究所という機関のおこなったことがらを記録にとどめ、大学として歴史教育・平和教育・科学教育の発信地とするとともに、多年にわたり、登戸研究所を戦争遺跡として保存・活用することをめざして
地道な活動を続けてきた地域住民・教育者の方々との連携の場としていきたいと考えている。