制海権の下にあったから、騒ぎを聞きつけた日本の駆逐艦が取り締まりにやってきます。
日本の帝国海軍の軍艦を見たとき、争議を起こしていた蟹工船の工員たちは喜びます。「お国が助けにきてくれた。天皇陛下は私たちの哀れな境遇に同情してくださっている。だから海軍が助けにきたのだ」と考えたのです。ところが現実には軍艦に憲兵が乗っていて、労働争議を弾圧しにきたものだった。小林多喜二はこのように描くことで、国家というものが資本主義的搾取の道具であるというマルクス主義の主張を宣伝しようとしたのです。
小林多喜二の小説『蟹工船』
日露戦争に勝った日本は、オホーツク海全域で漁業権を得て、オホーツク海の奥の奥まで蟹を獲りに行けるようになりました。カムチャツカ半島の北側まで行き、獲った蟹を船内で加工して缶詰にする施設を持った船が、蟹工船です。
その船で働く工貝は、酷寒のオホーツク海で、揺れる船の中で一日中働かされ、不当に賃金を搾取される。そんな様子が描かれていますが、最後に工員たちは立ち上がり、団結して反乱を起こします。
当時のオホーツク海は日本海軍の
日露戦争の従軍記章
・.直径1寸の円形
・交差した陸軍連隊旗と海軍軍艦旗の上部に菊紋、下部に桐紋を掲げた図
横須賀の造船所
小栗上野介は、横須賀の造船所、製鉄所の建設を立案し、実行に移しているのだ。横須賀の造船所は、明治維新の頃にはほぼ完成しており、代金も大半が支払われていた。だから明治新政府は、ほぼ無償で、この横須賀造船所を受け継ぐことができた。
この横須賀造船所は、日本の造船業の発展に大きく寄与し、造船大国日本の礎(いしずえ)になった。
日露戦争で、ロシアのバルチック艦隊を破り、世界にその名を轟かせた東郷平八郎は、「日本海軍が勝てたのは横須賀造船所のおかげである」として、
小栗上野介の遺族を自宅に招き、礼を述べたという。
横須賀の造船所、製鉄所の建設は、スムーズにことが運んだわけではない。当時の幕府の財政はひっ迫していた。そういうときに、なぜこんな莫大な金がかかることをするのか、と幕府内でも反対論が渦巻いていた。が、小栗上野介は、その反対を押し切って、建設に踏み切ったのである。
小栗が日本の将来のために、幕府の財政が火の車のときに大金を使って「造船所」や「製鉄所」をつくっていたということは、評価に値する。
横須賀中央駅~三笠公園に行く途中にありました。