三笠公園
横須賀市稲岡町82  標高:1.1m
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日本海海戦後言志

 日の本乃 海にととろく かちときは
       御陵威かしこむ 聲とこそしれ

        東郷平八郎
 行進曲「軍艦」は明治30年海軍軍楽長 瀬戸口藤吉氏によって作曲された 日本の勃興期におけえる行進曲として親しまれ 未来への明るい希望と自信を与え勇気づけるものである 世界3大行進曲の一つとして 音楽史を彩る希有の名曲で 作曲されてから一世紀を迎える年にあたり 瀬戸口軍楽長がこよなく愛し 青春の日日を送り己が終焉の地ともなったこの横須賀の三笠公園に行進曲「軍艦」の顕彰碑を建立したものである
        行進曲「軍艦」記念碑建立協賛会
三笠公園

 本公園は昭和三十六年三月二十七日完成を見たもので公園の名称はこの一角に保存されてある記念艦三笠に由来するものである三笠艦は日本海々戦ー一九〇五年ーの際わが連合艦隊旗艦として参戦し時の司令長官東郷平八郎の大号令「皇国の興廃此の一戦に在り云々」と共に世界海戦史上不滅の名をとどめた
      「皇国興廃在此一戦」
 三笠は1904年(明治37年)2月に始まった日露戦争において、東郷大将が率いる連合隊の旗艦として、終始敵の集中砲火の中で奮戦し、同年8月10日の黄海海戦では露国東洋艦隊に大打撃を与え、遂に1905年(明治38年)5月27日日本海海戦では、遠来のバルチック艦隊を全滅させる偉功をたてた日本海軍の代表的な軍艦であります。
 日本海海の大勝利は、世界史の流れを大きく変えたと言われますが、
 この偉業を成し遂げた日本民族の誇りと自信を新たにするとともに、その栄光を永く後世に伝えるために、その「シンボル」として、三笠は1926年(大正15年)以来収蔵する多数の記念品とともに、ここ白浜海岸に保存され、多くの人に親しまれてきました。


 要目
排水量 15,140トン  全長  122m  幅 23.m
軸馬力 15,000 H.P  速力 18 ノット
砲   30cm×4  15cm x 14   8cm×20
発射管  450x4




<左舷後方からの姿>

 軍艦三笠はイギリスのヴィッカース社が製造し、1902年(明治35年)3月に竣工した戦艦です。1905(明治38年)の日本海海戦で活躍後、1923年(大正12年)ワシントン軍縮条約により廃艦が決定し、1925年(大正14年)に記念艦として横須賀に保存されました。第二次対戦後、米海軍司令部はソ連の解体要求と日本側の保存要請を考慮し、「三笠」の艦橋、大砲、煙突、マストなど上甲板構造物を撤去条件に、「三笠」の保存・使用を許可し、のちに復元されて現在に至ります。
<左舷側面からの姿>

  中央に見える長い大砲は口径15.2 cmの副砲で、中甲板に10門、上甲板に4門の計14門を装備しています。その上の艦内開口部から飛び出して見えるのは、口径7.62cmの補助砲で計20門配備されています。さらに前甲板と後甲板には口径30.5cmの主砲(連装砲塔)が有り、計3種類の主力火器があります。他に47mm砲16門と45cm魚雷発射管を4門備えています。三笠はイギリス海軍の戦艦ダンカンと同型艦で、当時の性能、規模共に世界一を誇るものでした。
<左舷前方からの姿>

 艦首の方角は皇居に向けられて地上に設置されています。 艦首には菊の御紋が装着され日本海軍の特徴と威厳を表しています。
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