<伏見宮博恭王(ふしみのみやひろやすおう)軍装>
日露戦争では連合艦隊旗艦「三笠」分隊長として黄海海戦に参加し戦傷を負いました。 艦長や艦隊司令長官を務める等、皇族軍人の中では際立って実戦経験が豊富で、ドイツ帝国海軍兵学校や海軍大学校で学びました。
<各種瑞宝章>
明治21年(1888年)に制定された勲章制度の一つで、左から勲三等旭日中綬章、勲五等瑞宝章、勲七等瑞宝章、勲八等瑞宝章の勲章です。
※現在、勲七等及び勲八等瑞宝章は廃止されています。
<広瀬中佐の柔道着>
広瀬少佐は、旅順港閉塞作戦で福井丸の指揮官として、船内から退避が遅れた杉野兵曹を捜索しましたが見つかりませんでした。その後退避中のカッター上で敵の砲弾直撃を受け戦死し、後に中佐に昇進して軍神となりました。
「連合艦隊解散の辞」
連合艦隊解散時の訓示であり、東郷司令長官は、海軍軍人は平時、 戦時の別なく任務に精励すること、鍛錬に努め装備の全能発揮を図ること、一勝に満足し安閑としてはならないことなどを強調しており、「勝って兜の緒を締めよ」
の結語は広く知られています。 ルーズベルト大統領は、この訓示はアメリカ海軍軍人も銘記すべき重要なことであるとし、海軍長官を通じて全部隊に文書で伝えました。
二十閲月の征戦已に往事と過ぎ、我が聯合艦隊は今や其の隊務を
当時としては最高の性能でした。
結了して茲に解散する事となれり。然れども我等海軍々人の責務は決して之が為に軽減せるものにあらず、此の戦役の収果を永遠に全くし、 尚益々国運の隆昌を扶持せんには、時の平戦を間はず、先ず外衝に立つべき海軍が常に其の武力を海洋に保全し、一朝緩急に応ずるの覚悟あるを要す。………(略)
<三笠のエンジン>
英国ビィッカース社製直立3気筒3連式 蒸気機関を搭載し、ボイラーの近い方から高圧、中圧、低圧のシリンダーとして配管で連結し、蒸気を排気せずに再利用して15,000馬力、18ノットの速度を引出す
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<三笠の機関断面図>
最大の特長は、エンジンが直立3気筒3連式レシプロ蒸気機関で高出力となり、砲塔部と真下の揚弾搭クレーン室が一体化されたことです。
戦艦三笠の前々弩級艦である富士型戦艦までは砲塔が単独駆動し、弾発射から一度砲身を前方に戻し砲弾を吊り上げ装てん、その後次ぎの標的に向けて砲塔を回転させなければならず、二度手間、三度度手間でした。この最新式では砲身を前方に戻す必要はなく、毎分1発以上の砲弾発射を可能にしたのです。
<日露講和条約>
米国大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋で、明治38年(1905年)9月5日に米国ポーツマスにて講和条約が締結されました。この条約に調印したロシア側は、三国干渉に関わった前蔵相ウィッテと駐米大使ローゼン、日本側は外相の小村寿太郎と駐米高平小五郎公使です。