縄文人は生い茂った森を切り開き、集落をつくります。集落周辺では木の実や山菜などの採集、建築材や木製品の木材の伐採(ばっさい)、薪(まき)燃料の確保など、さまざまな生業活動が行われ、自然環境を開発し、改変していきます。その結果、集落周辺には、日当たりのよい空間と土壌(どじょう)が生まれ、縄文人にとって有用な植物が多く育つ
「二次林(にじりん)」が生育していたとみられます。
食料としては栄養価に富み、保存性の高いオニグルミやクリを採集しています。
サクラの樹皮(じゅひ)が巻かれます。丸木舟(まるきぶね)にはカヤやスギ、クリ、舟をこぐ櫂(かい)にケヤキ、ヤマグワ、ケンポナシ、容器にはケヤキ、トチノキが使われることが多く、 材の特性に合わせて木材が選択されていたと考えられています。
市域ではクルミの実を模した土製垂飾(どせいたれかざり)やクルミ形の土器、炭化(たんか)したオニグルミの殻(から)なども出土しています。
建築材には、耐久性(たいきゅうせい)に優れたクリが非常に多く使われています。クリはうっそうとした深い森では多く生育できない木ですが、
燃料材としても多用されていることから、集落周辺に多く生育し、人為的に管理されていたと考えられています。
木製品では、石斧柄(せきふえ)にナラ類やスダジイ、丸木弓(まるきゆみ)にイヌガヤ、飾(かざ)り弓にはマユミやミズメを使い、
縄文時代の住居を再現。
縄文時代中期後(約4700年前) 案内板より
復元住居 屋根:笹葺 柱材:クリ床:ローム土
竪穴住居の耐用年数は数年から10数年程度と考えられています。住居が使われなくなり廃絶された時から、半地下式の竪穴住居は土で埋まり始め、やがて窪地を形成します。このように、縄文集落の景観は数軒程度の住居とともに、廃絶住居の窪地がいくつもあったとみられています。
竪穴住居を発掘調査していくと、住居の床面より高い位置の土の中から、土器や石器、石、炭化物などの遺物が大量に出土します。これらは、縄文人が日々の生活のなかで投げ捨てたもので、竪穴住居「跡」となった窪地は、ごみ捨て場として利用されていたようです。
・昭和48年調査の竪穴住居(窪地として整備した10号住居)
・竪穴住居廃絶後にできた窪地に投げ捨てられた土器 石器等出土状況(3号住居)(案内板より)
勝坂遺跡D区の南集落には50軒もの住居が発見されています。竪穴住居「跡」の数からは、大規模に見える集落ですが、集落の長きにわたる継続期間のなかで、住居の構築・建替・廃絶を繰り返した結果としての集落「跡」であるのが実像です。
鳩川流域沿いや湧水の流れる谷戸(やと)沿いにつくられた縄文集落群です。D区には、北と南に集落がつくられており、その間には、埋没谷(まいばつだに)(埋没者の調査:平成成16年)が走っています。現況の地形でも谷状に窪んでいることがうかがえます。
谷部などの水が流れる場所は、ドングリを水でさらすアク抜きなどに利用されることがありますが、この埋没谷は調査の結果、集落があったころにはほとんど埋まっていたことがわかりました。また、勝坂遺跡A区には集落を画(かく)す埋没谷が確認されています。
縄文時代の住居出入口部には土器を埋めた「埋甕(うめがめ)」がよく発見されます。埋甕は、縄文人の再生観念(かんねん)による風習とみられ、土器の中に、再生・復活を願うものを入れていたようです。なかには幼児甕棺(かめかん)として骨が出土した事例もあります。