これ等の霊魂に対し安かなるご冥福とかゝる悲惨事の再び起らの永遠の平和を祈り之を建つ
昭和三十八年十一月
神奈川県平塚市富士見町十番十八号
元 高座海軍工廠 海軍技手 早川金次
坂本七吉謹書
(参考)大和市草柳「徳善寺」の
「戰没台湾少年之慰靈碑」
大平洋戦争の末期この地に高座海軍工廠在り
十三才より二十九歳の台湾本島人少年八千余名海軍工員として故郷を遠く離れ気候風土その他の悪環境をも克服し困苦缺乏に耐え連日の空襲に悩みつゝも良くその責務を完うせり
されど病床に斃れ或いは爆撃により無残の最期を遂げたろ者数多し遺骨は故郷に還れど夢に描きし故郷の土を踏み懐しの肉親との面會をも叶はず異郷に散華
せる少年を想ふ時十八年後の今日涙また新なり、