日清戦争
 1894(明治27年)7月25日~1895年(明治28年)4月17日












 日本が清から割譲されたはずの遼東半島を強引に横取りし、満州全土に租借権や鉄道の敷設権などの権益を持つにいたったのです。
 ロシアが満州を南下し朝鮮半島にまで来たところで、日本と衝突し、日露戦争が起こったわけです。



 フランス挿絵画家ジョルジュ・ビゴーの風刺画
 日本と清国が釣り上げようとする魚(朝鮮)を、
   ロシアが横取る「漁夫の利」

【日清戦争での日本の勝因】 日本の勝因は、近代化(西洋軍事化)をいち早くアジアの中でも成し遂げたことでした。 軍隊の訓練、規律、新兵器の装備が清に勝っていたことが上げられます。 日本は軍事組織や制度、徴兵制、訓練、装備、運用に至るまで、各方面において当時の西洋諸国に習い、近代化の遅れた清と大きな差が生じていました。まさに日本は帝国主義に突き進んでいた時代だと言えます。
 19世紀後半の満州は、世界地図の中で欧米列強に植民地化されていない数少ない地域でした。アフリカ、アメリカ、アジアと侵略を続けてきた欧米諸国にとって、中国は最後に残った獲物であり、満州はその最果ての地でした。満州と陸続きで、また極寒の国ロシアからすれば、満州は気候が温暖です。
 それでもロシアは、19世紀末まではそれほど露骨に満州に進出してはこなかった。清への遠慮があったからです。
 しかし、日清戦争で清が敗れるのを見ると、ロシアは露骨に満州に侵攻してきたのです。 





黄海海戦での連合艦隊旗艦防護巡洋艦「松島」



清国海軍戦艦「定遠」(ドイツ製造)



清国海軍戦艦「鎮遠」(ドイツ製造)

 清国海軍の新鋭戦艦「定遠」と「鎮遠」(ドイツ製造)に対抗するためフランスで建造されました。口径の大きな32cm単装砲(カネー砲)を装備していました。

①軍艦の大量購入(主にイギリスで建造)
 • 戦艦「三笠」
 • 装甲巡洋艦「浅間」級
 • 装甲巡洋艦「出雲」「八雲」
 • 戦艦「敷島」「初瀬」
 これらは日露戦争の主力艦隊となり、 日本海海戦の勝利に貢献しました。

参考)三笠 建造費は120万ポンド(240万円)≒現在の価値48億円

日清戦争での日本の勝因

 日本の勝因は、近代化(西洋軍事化)をいち早くアジアの中で成し遂げたことでした。軍隊の訓練、規律、新兵器の装備が清に勝っていたことが上げられます。
 日本は軍事組織や制度、徴兵制、訓練、装備、運用に至るまで、各方面において当時の西洋諸国に習い、近代化の遅れた清と大きな差が生じていました。まさに日本は帝国主義に突き進んでいた時代だと言えます。
日本軍に協力した清国人にいかなる処刑もしてはいけない。
⑨清国にいる日本人俘虜を返還し、虐待もしくは処刑してはいけない。日本軍に協力した清国人にいかなる処刑もしてはいけない。
⑩条約批准の日からを戦闘を停止する。  ⑪条約は大日本国皇帝および大清国皇帝が批准し、批准は山東省芝罘(シフウ)で。明治28年5月8日(光緒21年4月14日)に交換される。
⑪条約は大日本国皇帝および大清国皇帝が批准し、批准は山東省芝罘(シフウ)で明治28年5月8日(光緒21年4月14日)に交換される。

⑤割譲された土地の住人は自由に所有不動産を売却して外に居住地を選択することができ、条約批准2年後も日本の都合で日本国民と見なす ことができる。
⑥清国は沙市、重慶、蘇州、杭州を日本に開放する。また欧州諸国と同様の通商航 海条約を日本と締結する。  
日清媾和条約の主な内容
① 、清国が朝鮮の独立を承認する。
②③遼東半島・台湾・澎湖列島を日本に割譲し、該地方にある城塁、 兵器製造所及び官有物を永遠に日本に割与する。
④賠償金2億両(テール)を支払う。
⑦日本は3か月以内に清国領土内の日本軍を引き揚げる 。
⑧清国は日本軍による山東省威海衛(清国北洋艦隊の基地)の一時占領を認める。
⑨清国にいる日本人俘虜を返還し、虐待もしくは処刑してはいけない。








【日清媾和条約】
(別名_下関条約または馬関条約)

 料亭春帆楼(しゅんぱんろう/山口県下関市)で、7回にわたる会議の末に調印された条約です。
 調印日:明治28年(1895年)4月17日)


 日清戦争での日本の勝利は、日本の大陸進出 や 欧米列強の中国分割 を加速する要因となりました。
<日本側>
 伊藤博文(内閣総理大臣)・陸奥宗光(外務大臣)
<清国側>
 李鴻章(北洋大臣直隷総督)・李経方(外務部大臣・李鴻章の弟李昭慶の子)

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