要塞とは、外敵を防ぐための防衛施設です。猿島の要塞は東京湾口の守りを固めることを目的として、明治時代中期に明治政府が建造しました。
すべての施設が岸壁を掘込んで造られているので、島の外からは、まったく見えない構造になっています。
さて、 露天掘りの幹道を歩いてみましょう。 幹道に沿っていくつかの部屋が並んでいます。 小窓のあるのが兵舎で、 窓の無い部屋は弾薬庫です。
弾薬庫のすみには、真上の砲台に弾薬を運ぶためのものと思われる井戸のような穴が開いています。
切り通しの東側には兵舎と弾薬庫が交互に並び、小窓の無いこの部屋は弾薬庫として使われました。アーチ状の入口はこの先のトンネルと同じフランス積みのレンガ構造物です。
部屋の隅には井戸のようなたて穴があり、これを使って真上の第2砲台へと弾薬を運んでいたと思われます。
また別の弾薬庫の地上には、地下の弾薬庫と連絡を取るための円形の土管を利用した伝声管も見つかっています。
本公園は昭和三十六年五月二十七日完成を見たもので公園の名称はこの一角に保存されてある記念艦三笠に由来するものである三笠艦は日本海々戦ー一九〇五年一の際わが連合艦隊旗艦として参戦し時の司令長官東郷平八郎の大号令「皇国の興廃此の一戦に在り云々」と共に世界海戦史上不滅の名をとどめた