明治大学平和教育登戸研究所資料館
  標高:59.2m
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登戸研究所製造

 謀略兵器と思われるもの

 疎開先で登戸研究所の工場として使用された福岡社から終戦直後に発見され、近隣住民が保管していた。火をつけると約20cmの炎が出る。焼夷剤の点火薬など放火用謀略兵器として使用された可能性がある。登戸研究所が製造した略兵器またはその一部であれば、現存する唯一のもの。
九八式衛生濾水機丙 実物大模型 (実物は彰古館所蔵)

 登戸研究所に運び込まれた大量の濾過筒が装填され、 使用されていた濾水機です。 この模型を見れば
「この濾過筒はどうやって使うのか?」
「どうやって水を濾過するのか?」 が分かります。
 731部隊部隊長の石井四郎は、大正時代, すでに民間で開発されていた濾過筒に目をつけ軍用として採用, 石井式濾水機の開発に成功した。 九八式は石井式の実用性を高めたタイプの濾水機で, ガラスケースに展示されている濾過筒(長さ330mm) を中に6本設置し使用した。 ハンドルで,中のブラシと, カートリッジの役割をする濾過筒を同時に回転させ, 表面をることで濾過筒を繰り返し使用できるようにしたことが石井式の最大の特徴であり,この九八式も同特徴を受け継ぐ。 当時, 他国製のものに比べて細菌の濾過性能は格段に高かった。




風船爆弾 底冷えの工廠で作業
       朝日新聞 2024/6/22より
  柴田歌子(千葉県)

 1944年、私は「ふ号兵器」いわゆる風船爆弾づくりに携わりました。当時は愛知県立第一高等女学校5年生で、学徒勤労動員として名古屋陸軍造兵廠に配属。勉強を続けることはかなわず、名古屋市内の自宅から通いました。
 「撃ちて止(や)まむ」の標語の下、女学生は一丸となって銃後を守ったのです。