平和祈念展示資料館(総務省委託)
2023年5月21日見学  東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル33階
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 パンは黒パンですけど、ほとんどライ麦が材料、うまくないパンですよ。右の写真のように均等に切るわけです。だから、均等かどうか、みんなギラギラした目が見てるんですよ。だから切る方はすごく気を使って、嫌だったらしいですけど、当番でやらざるを得なくて、それで測りながら、定規を自分で作るんですよ。完全に切り分けるのに10分20分かかるんです。これでいいか、これでいいか、だけど一日一枚ですからね。必死なんですよ。
 60万人くらいの捕虜が捕まったって言いましたけど、その中で5,000人くらいは女性だったんです。というのは、一つは従軍看護婦です。女性なので、ソ連が攻めてきて乱暴される、みんな男みたいな格好してたんですよ。頭の髪を短くして、さらしを巻いて、男の子だから、みんな兵隊収容所に入るときに一応チェックします。で、お前女じゃないということで、それはタイピストだとかいろんな事務の方に分けられたり、あるいは病院的なもの、医療施設に、全部で5,000人位いたみたいです。だから大変ですよ。
 130万人くらい。舞鶴港は60万人くらいしかいないのです。舞鶴港がなんで有名かというと、日本に15ヵ所くらい引揚港があったんですよ。鹿児島港もそうです。横須賀港もそうなんです。そういうところもあったんだけど、ほとんどが2~3年で止めちゃった、もうだいたい帰ってきた。なんと、11年間も、ずっと最後まで引揚を残したのが舞鶴港だけなんですよ。それで有名になっちゃった。要するに、舞鶴港だけが引揚港として残り、他が全部なくなったのに、最後まで残したからなんです。引き上げた最後の人、つまりソ連からですよね。


 これは引揚船の船の底の船室です。これは日本で輸送するんですけど、日本で輸送するのは少ないですよ。みんな沈めらちゃったので。アメリカが、なんとか船を200艘くらい貸してくれたんで。 「それでほとんどは門司港ですか?」 いえいえ、門司港は少ないです。実はですね。関門海峡は、日本にアメリカ軍が落とした機雷の、半分くらいが関門海峡なんですよ。だから、門司港と下関港、多分3年くらいは使えなかったんです。引き上げで一番多いのは意外と佐世保港、圧倒的に多いんです。
それで、帰るときに服なんてないですから、あまりにも汚い格好だと、ソ連のメンツが立たないと言うことで、もらった服がこれなんですよ。