60万人くらいの捕虜が捕まったって言いましたけど、その中で5,000人くらいは女性だったんです。というのは、一つは従軍看護婦です。女性なので、ソ連が攻めてきて乱暴される、みんな男みたいな格好してたんですよ。頭の髪を短くして、さらしを巻いて、男の子だから、みんな兵隊収容所に入るときに一応チェックします。で、お前女じゃないということで、それはタイピストだとかいろんな事務の方に分けられたり、あるいは病院的なもの、医療施設に、全部で5,000人位いたみたいです。だから大変ですよ。
130万人くらい。舞鶴港は60万人くらいしかいないのです。舞鶴港がなんで有名かというと、日本に15ヵ所くらい引揚港があったんですよ。鹿児島港もそうです。横須賀港もそうなんです。そういうところもあったんだけど、ほとんどが2~3年で止めちゃった、もうだいたい帰ってきた。なんと、11年間も、ずっと最後まで引揚を残したのが舞鶴港だけなんですよ。それで有名になっちゃった。要するに、舞鶴港だけが引揚港として残り、他が全部なくなったのに、最後まで残したからなんです。引き上げた最後の人、つまりソ連からですよね。
これは引揚船の船の底の船室です。これは日本で輸送するんですけど、日本で輸送するのは少ないですよ。みんな沈めらちゃったので。アメリカが、なんとか船を200艘くらい貸してくれたんで。
「それでほとんどは門司港ですか?」 いえいえ、門司港は少ないです。実はですね。関門海峡は、日本にアメリカ軍が落とした機雷の、半分くらいが関門海峡なんですよ。だから、門司港と下関港、多分3年くらいは使えなかったんです。引き上げで一番多いのは意外と佐世保港、圧倒的に多いんです。
それで、帰るときに服なんてないですから、あまりにも汚い格好だと、ソ連のメンツが立たないと言うことで、もらった服がこれなんですよ。