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現在は立入禁止ですが、住宅の裏には高台があり、稲荷社がある。建築した宮大工の名前と「慶応3年」(1867年)と書かれた棟札が残るそうです。
丸山は勝坂の山の一つで、同家7代目の喜右衛門がその中腹に掘り当てた湧水で、中村家の台所と庭先に引き込み、庭先のものは集落共用で使われた。台所のものは現在も活用されている。水源に、八代忠亮が先代の偉業をたたえた記念碑が建てられている。
この辺りには、中村家当主であった中村忠亮の所有する畑から、1926年に縄文土器片2つが出土、古くは縄文時代を代表するとして勝坂式土器の発祥の地として名高く、縄文時代中期(約5,000年前)の大きな集落遺跡の「勝坂遺跡」があります。