平和祈念展示資料館(総務省委託)
2023年5月21日見学  東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル33階
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 平和祈念展示資料館は、第二次世界大戦における、兵士、戦後強制抑留者および海外からの引揚者の労苦(以下、「関係者の労苦」)について、国民のみなさまに、より一層理解を深めていただくため、関係者の労苦を物語る様々な実物資料、グラフィック、映像、ジオラマなどを戦争体験のない世代にもわかりやすく展示しています。 また、資料を有効活用し、効果的な方法で幅広く労苦を語り継ぐため、全国で展示会などの館外活動を展開しています。(ホームページより)
「赤紙」っていうのは、働いている人たちに来るんです。赤紙は本籍地に来るんです。しかし、他の場所で働いていると、すぐには本籍地に帰れないんです。そして、「どこどこの軍隊に集まれ」というものです。 赤紙っていうものは、普段働いている人達に来るのですよ。徴兵検査で、人数が足らないときは直ぐ引っぱられますので、赤紙はいらないわけです。だいたい最初の頃は兵隊も余っていますし、日本も勝っていますので。 自分の職場などや学校に全部戻って、待機しているような状態なのです。そこに、「兵隊が足りなくなったから来い」と言うのが赤紙なんですね。その赤紙を持って軍隊に行き、渡すわけなんです。
 軍隊にはそれこそ赤紙なんて何百万枚も出たでしょうから、それが全部軍隊に、海軍や陸軍にあるわけですね。それが1945年8月15日、戦争で負けました。そしたら、アメリカが来ると、「赤紙は大事な機密資料になるのではないか」ということで、軍隊は直ぐに1週間、10日かけて重要な書類、赤紙だけじゃないですけど、みんな燃やすんですね。だから赤紙は残ってないんですよ、みんな燃やされちゃって。多分、赤紙は何百万枚も作られたのに、おそらく10枚ぐらいしか本物は残っていないのです。



日本は掛け言葉好きだ。その例が、「玉止め」で玉が当たらない、物によって、こういう風に、お金が5銭と10銭でお守りを作っていたんです。「5銭というのは死線を超える」、「10銭というのは苦線を超える」という。そういう書き言葉で、この時代ですから、「生きて帰ってこいよ」とは、言えないんですよ。近所の人に、「あれは非国民だ」と言われるから、内緒で、要するに「何しろ生きて帰ってきてよ」と。時代としては「天皇のために死んで頑張ってこい」ってみたいな時代ですからね。
「生きて帰ってきて」っていうのが、わざと虎を、虎ってのは「子供のために千里行って、千里帰り、餌をとってね」。そういうことで、よく虎の印刷をした。そこに5銭とか10銭を貼ってやる、ということですね。



 これが「千人針」ですね。千人針ってのは女性だけ。男は「千人力」といって、力という意味で、みんなの力を借りて頑張るというのだけど、男なんてみんな戦争に行っていないから、千人の男でなんて書けません。







 これはご存知のようにセーラー服ですよね。セーラー服を着るのは海軍の下っ端です。しかも夏用の服です。セーラー服って女子高生の女の子の服に変わっちゃいましたけど、白いのもありますよ。夏服と冬服とがありました。ちょっと昇級するともうこんな服、着ないですね。
 本来は医療用のカバンは革づくりなんですけど、南方の方行くと、食い物も何にもなくて、もう、軍医でさえ歩くのがしんどくなって、重いって言って、自分でこういう医療用のカバンも、布の入れ物に変えるんです。
「このカバンの布は、現地で布を切ってるんですかね。服を切ったりですね。戦争をやって死んだ人の服を切ったり。」